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エジプト アーカイブ

スフィンクス建造の謎

ギザの大スフィンクスは、世界で最もも印象的な記念物とされています。

ライオンの胴体と人間の頭部をそなえた彫像は、激しく損なわれていますが、その威厳のある外観と魔術的な印象は、少しも失われていません。

しかし、スフィンクスは本当にかつてのファラオの権力の象徴にすぎなかったのでしょうか。


エジプト学者の一致した見解では、大スフィンクスはカフラー王(ギリシア名ケフレン)に帰せられています。

このファラオは、およそ紀元前2520年から2494年まで統治し、ギザの第ニピラミッドの建造者とも見なされています。

このピラミッドは、スフィンクスの半キロ後方にあります。

ギザ台地の考古遺物管理官で、スフィンクス研究の分野では著名な専門家であるザヒ・ハワス博士はこう述べています。


「われわれエジプト学者は、スフィンクスがカフラー王の時代に建造され、このファラオがギザ台地の第ニピラミッドも築かせたという、明確な証拠を持っている」


もっとも、今のところスフィンクスからも、その周辺建造物(近くにあるスフィンクス神殿と河岸神殿も含まれる)からも、この満場一致の科学的信念を裏付ける碑文は発見されていません。

事実、同時代の文献には、この像に言及したものや、カフラー王を建造者と示唆するものはひとつもないのです。

そのうえ、信頼すべき年代確定の方法である放射性炭素測定法は、像も神殿ももっぱら自然石でできているので使えません。

言い換えれば、ギザの大スフィンクスのはっきりした建造年代は特定されていません。

その建造者はわかっていないのです。

カフラー王建造説の根拠

なぜ、いかなる根拠によって、学者たちはスフィンクスとカフラー王との関連を引きだしたのでしょうか。

第一に、いわゆる参道があります。

これは第ニピラミッドの東側にある葬祭神殿と河岸神殿とを結んでおり、スフィンクスのすぐ南側を通っています。

河岸神殿ではカフラー王の像が発見されており、それがエジプト学者にとっては、河岸神殿が第ニピラミッドおよびスフィンクスと建築上の関連を有し、したがってこれらの建造物はグループあるいはアンサンブルとみなされるべきであるという、充分な証拠となっているのです。

第二に、いわゆるスフィンクスの石碑が論拠に持ちだされます。

これは花山岡岩でできた記念石板で、トトメス4世が紀元前1400年に、スフィンクスの前脚のあいだに建てさせたもの。

この石碑には、14行のヒエログリフの碑文が刻まれています。

その13行目に「カフ」という字句があり、しかも「地平線にいるホルス」(すなわちスフィンクス)という名のすぐ近くに書かれています。

エジプト学者はそれをカフラーという名の断片と解釈し、このファラオがスフィンクスを建てさせた証拠として評価しているのです。

第三に、学者たちがとくに強く断言しているのは、スフィンクスの顔が、河岸神殿で発見されたカフラー王の像と同じだということです(この像は現在はカイロの博物館で展示されています)。

これらの事実をもとにハワス博士とその同僚たちは、「スフィンクスはカフラーの時代に築かれた」のであり、したがって建造年代は紀元前2500年ごろにちがいないと主張しています。

しかし、この論証はどれほど確実なものなのでしょうか。

カフラー王説への批判

批判者は、つぎのように反論しました。


そもそもこれらは純然たる状況証拠であり、このような「グループ分け」は、ともすれば誤った結論にみちびきかねない。

たとえば、スフィンクスと第ニピラミッドが参道によってつながっているという事実は、それが同じ時代に建てられたという推定へと必然的にみちびくわけではない。

実際、古代の宗教施設は何百年もあとになって建物の一部や独立した建物が付け加えられたり、修復や改築が行われたりする場合がしばしばあるのだ。

ときにはそれが何千年もあとに行われることもある。

一例をあげれば、イギリスのストーンヘンジは何百年もの時代にわたって建てられた。

そのうえ、この「グループ分け」の難点は、スフィンクスとその神殿の浸食現象が、第ニピラミッドよりも明らかにずっと進んでいることだ。

それに、河岸神殿でカフラー王の肖像が発見されたというだけで、軽々に河岸神殿(それと同時にスフィンクス)を、このファラオのものとするわけにはいかない。

有名な政治家や王の像が、それよりもはるかに古い建物のなかに建立されるのは、しばしば目にすることだし、それは今日でもめずらしいことではない。

ちなみに、スフィンクスの前脚のあいだに、あるファラオの像が立っていたと言われているが、それはおそらくトトメス4世の後継者の像だろう。

この彫像は、エジプト学者が推定するスフィンクスの建造期よりも約1000年あとのものだ。

もしこの像がカフラー像のかわりに河岸神殿で発見されていたら、研究者はスフィンクスを新王国時代のファラオのものとするのだろうか?

カフラー王説への批判 その2

石碑に「カフ」という字句が記されていることは、「なんの証明にもならない」と、ある著名なエジプト学者は率直に認めています。

周知のように、エジプトの王の名前は、つねにカルトゥーシュと呼ばれる長円形の縁飾りでかこまれています。

ところがスフィンクスの石碑には、カフという字句のまわりにカルトゥーシュの跡がまったく見られないのです。

王室の書記がかくも重要な碑板を仕上げる際に、こんな過ちをおかすとはとうてい考えられません。

この石碑にしばしばあらわれるトトメス4世の名が、つねにカルトゥーシュでかこまれていることだけでも、書記がこの重要な慣例を熟知していたことを証明しています。

しかし、たとえこの字句がカフラーの名前だとしても、それによってこのファラオがスフィンクスも建てさせたことには決してなりません。

カフラーは後代の多くのファラオのように、あるいは前代のファラオもすでにやっていたかもしれないですが、スフィンクスの修復や改装を行うことによって、はるかに古い記念物を自分の栄光に結びつけたのかもしれません。

そういうことが古代エジプトで実際に行われた例はいくつもあるのです。

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カフラー王説への批判 その3

まだ、「スフィンクスの顔が河岸神殿で発見され、カフラー王と立証された像の顔と同じだ」という主張がのこっています。

この見解は数年前に、ニューヨーク警察の法廷画家で、人相の同定の専門家であるフランク・ドミンゴ警部補から、きわめて説得力を持って否定されました。

ドミンゴは1993年にエジプトを訪れ、スフィンクスとカフラー像を実見するや、これは取り違えの典型的なケースだと確信したそうです。

それから実証ずみの人相同定法にもとついて、2つの像の顔をきわめて詳細に調査し、数百枚の写真をあらゆる角度と視点から撮影しました。

数ヶ月後、ドミンゴは調査結果を発表。

「スフィンクスとカフラー像は、2人の異なる人物をあらわしている」。

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スフィンクスの年齢は?

スフィンクスの年齢にかんする論争は、厳密に言えばすでに1973年にはじまっています。

そのころアメリカの著述家ジョン・アンソニー・ウェストは、フランスの数学者R・A・シュワレ・ド・リュビックの『人間のなかの神殿』という題の著書を読んで、ある箇所にぶつかり、それがウェストの人生を変えることになりました。

ド・リュビックは、スフィンクスの体に見られる深い垂直の亀裂と波形の浸食について記したあとで、つぎのように述べています。

「デルタ(北エジプト)の起源が沖積によるものであることは、ほとんど疑う余地がない。

・・・膨大な水量がエジプトを侵す前に、高度に発展した文明が存在していたに違いない。

これは、つぎのことを推察させる。

すなわち、スフィンクスはすでにこの大災害の前に西ギザ台地の岩石から彫り抜かれていた。

スフィンクスのライオンの体は、頭部をのぞいて、水による浸食のまぎれもない跡をとどめている」。


しかし、スフィンクスの浸食現象が水によってひきおこされたのだとすれば、一定の気候条件を前提としなければならず、そんな気候はすでにカフラーの治世の数千年前からエジプトでは見られなくなっています。

ところが学界の通説では、この時代にはまだ高度に発達した文明はありえないとされています。

エジプトには原始的な種族が住んでいただけで、石器時代の人類にスフィンクスのような像をつくる知識も技能もない。

まして、最低でも重さ150トンはある切り石を積み重ねた2つの神殿など論外だ・・・と。

いずれにせよエジプト学者は、水による浸食という考えをしりぞけました。

かれらの見解によれば、スフィンクスの表面の亀裂は、ギザにある他のあらゆる古代の記念物と同じく、風と砂によるものなのです。

スフィンクスの年齢は? その2

学界側の異議にもかかわらず、ド・リュビックの観察は正しいのではないかという考えが、ジョン・ウェストの脳裏からはなれませんでした。

しかし、もしそうだとすれば、その結果はたいへんなことになります。

「これほど単純で、しかもこれほど重大な影響をおよぼす第二の問いを見つけるのは、なかなかむずかしいことでしょう」と、かつてウェストは述べました。

ウェストはこの問題をみずから究明することにしました。

気象条件による石の浸食の研究は、古典的なエジプト学よりはむしろ古生物学や地質学の専門分野に入るので、ウェストは1990年にボストン大学の地質学と古生物学の教授、ロバート・ショーク博士に問い合わせました。

博士は、ギザにあるような石灰岩の浸食の分野の権威としても定評がありました。

ショークはウェストとともにギザにおもむくことに同意し、天候がスフィンクスと付属建造物に残した跡を共同で調査します。

必要なデータはすべて記録したので、ショークはそれを研究室で吟味することができました。

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スフィンクスの侵食は何によるもの?

まもなく確認されたのは、スフィンクスと付属建造物の浸食は、たしかに水によるものだということでした。

ショークの訓練された目には、深い垂直の亀裂やくぼみ(とくに像の南側を区切る壁にあるもの)は、激しい降雨の跡を示す「典型的な教科書例」だったそうです。

この雨は、数千年にわたって石灰石に降りそそいだに違いありません。

しかし、古気象学の認識によれば、すでにカフラーの時代の数千年前から、このような規模の降雨はもはやサハラ地帯にはなかったとされています。

このことから引き出される論理的な結論はただひとつ。

スフィンクスは、カフラー王の治世よりはるか以前の、まだエジプトを前記の気候条件が支配していた時代につくられたのです。

スフィンクスは通説よりも古いという説を裏づけるのに、これほど説得力のある論拠を提供できるのだから、ジョン・ウェストは自分の研究成果を世に問うことにしました。

その理論の帰結は広い範囲におよぶもので、ウェストはそれが公開で議論されることを期待しました。

スフィンクスの侵食は何によるもの? その2

一連の国際的新聞がウェストの調査結果を報道し、ついにアメリカ最大のテレビ局NBCがこのテーマで60分のドキュメント番組を放映しました。

しかし、エジプト学者の反応はなにからなにまで否定的でした。

ボストン美術館のピーター・レコヴァラ博士は、スフィンクスはもっと古いという考えを「ばかげている」と一笑に付しました。

博士の意見によれば、何百人もの学者がまちがっているなんて、ありえないことでした。

ほかの有名なエジプト学者、カルフォルニア大学のキャロル・レッドモント博士は「こんなことは、なにもかも真実であるわけがない」と宣告。

同女史は先史時代の「意志力」に通じているらしく、カフラー王の治世より数千年前のエジプトに、スフィンクスをつくる「技術、支配構造、意志」をそなえた人間は存在しなかったといいます。

エジプト学者ザヒ・ハワスは、ウェストの考えを「アメリカ式の妄想」ときめつけました。

ジョン・ウェストは「ディレッタント」であり、その理論は「ことごとく科学的根拠を欠いている」と・・・。

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