カフラー王説への批判
批判者は、つぎのように反論しました。
そもそもこれらは純然たる状況証拠であり、このような「グループ分け」は、ともすれば誤った結論にみちびきかねない。
たとえば、スフィンクスと第ニピラミッドが参道によってつながっているという事実は、それが同じ時代に建てられたという推定へと必然的にみちびくわけではない。
実際、古代の宗教施設は何百年もあとになって建物の一部や独立した建物が付け加えられたり、修復や改築が行われたりする場合がしばしばあるのだ。
ときにはそれが何千年もあとに行われることもある。
一例をあげれば、イギリスのストーンヘンジは何百年もの時代にわたって建てられた。
そのうえ、この「グループ分け」の難点は、スフィンクスとその神殿の浸食現象が、第ニピラミッドよりも明らかにずっと進んでいることだ。
それに、河岸神殿でカフラー王の肖像が発見されたというだけで、軽々に河岸神殿(それと同時にスフィンクス)を、このファラオのものとするわけにはいかない。
有名な政治家や王の像が、それよりもはるかに古い建物のなかに建立されるのは、しばしば目にすることだし、それは今日でもめずらしいことではない。
ちなみに、スフィンクスの前脚のあいだに、あるファラオの像が立っていたと言われているが、それはおそらくトトメス4世の後継者の像だろう。
この彫像は、エジプト学者が推定するスフィンクスの建造期よりも約1000年あとのものだ。
もしこの像がカフラー像のかわりに河岸神殿で発見されていたら、研究者はスフィンクスを新王国時代のファラオのものとするのだろうか?